「人」について
#13「働く」ということ
「働く」ということについて、あらためて考えてみた。
「働く」という語源は、「人」+音符「動」の国字。
人が動いて、生産活動に従事することを意味。 元来儒教文化においては、生産活動は重視されていなかったため、独立した概念が確立されていなかったが、近代になって、中国に逆輸入され「労働」等の熟語で用いられた。
※goo辞書から引用
私が想うに「働く」とは、「人」と「動」に分かれるという概念は、たしかに同じく想う。
しかしながら「動」の語源はなにか、あらためて「Wiktionary」にて調べた。私はWikiにサブスクリプション登録をしている。彼らが今までやってきたことがLMMに利用されることは、時勢も時勢だが、あまり好ましくはない。是非引き続き応援したいと想う。
「Wiktionary」では、下記のように記載がある。「動く」とは。
うごく【動く】
1.(人や物が)その位置が変化するように動作する。移動する。
2.(体の一部が)随意的または不随意的に活動する。
3.(機械などが)働く、作動する。
4.なんらかの目的を持って行動を起こす。警察が動く。
5.(地位や職種が)異動する。(気持ち、感情などが)うつる、ゆれる。
6.ものごとの内容や情勢などが一定の状態にとどまっていないで変化する.試合が動いた。
7.やりとりされる。大金が動く。
8.(打ち消しを伴って)確実である。
・否定の余地がない。
・動かぬ証拠勝利は動かない
・越智氏の隣りに坐っているのは猪股(いのまた)氏である。(略)このホテルの滞在客中でだいいちの金持である。この節、もっともあてた軍需工場の持主で、すくなくとも五六百万は動くまいという社交室の測定である。(久生十蘭『キャラコさん』「社交室」)
皆様が「働く」ということを「人」として、どのように「動いて」ますでしょうか。私は特に「2.」・「4.」・「5.」・「6.」は特に「働く」ことについて、「人」が大事だと想うことではないでしょうか。
#12 「共創の和」について
このタイトルは大切にしたい。「PIAS」にも、結びつくかもしれない。
私自身は、あたり前のことだと思っているが、最近やはりそのように思う。
実際に「人」と出逢うことは、大切だと思う。(私は「会う」ではなく、いつも「逢う」という言葉を敢えて使っている。
その人に逢いたい。いつも、そのように思う。
一卵性双生児として、「生」を受けたからだろうか。両親には感謝しかない。
人の想いやその背景に直接、一度寄り添ってみること。その人の今までの経験や人生を(同じか?いや違うのか?言葉が見つからない)を聴くこと。そして、自分の見解を、またそのお相手の方の見解についても、「正しい」とか「正しくない」とかではなく、「中庸」を心がけ、自分自身の言動に最後まで、息絶えるまで、責任を持つこと。そして未来に向かってその体験を大切にすること。
そもそも人は「後天的な情報」によって、人生が決まってくると、私は思う。(「先天的」なものもあるのも承知だ。そこは誤解しないで欲しい。)
確かに情報のやり取りは発達し、便利な世の中だ。でもその情報の真意はどこなのか、頭が擦り切れるまで、自分自身でまずは考えに考え抜き、出来れば直接出逢い、お伺いしたい。日本国内はあとは鳥取県と島根県だけだ。ごめんなさい。出来れば早く訪問したい。歴史とか文化とか人とかに触れたい。海外にも行きたいので、英語はもちろんだが、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、中国語ぐらいはある程度、抑えておきたい。
先日2つの事例があった。皆さんはどのようにお考えになるだろうか。
①就職面接は、コロナの影響もあって、Web面談がほとんどだ。そんな中「対面での面談」か「Web面談」か選択肢を頂いた機会があった。私はもちろん「対面での面談」を希望した。同じ時間であれば、直接お伺いして、出逢ったほうが、雰囲気や表情、身振り手振りがよく解るから(限られた時間で、すべてが解る訳では無いのはもちろんだが)
②とある資格の取得の相談を受けて、「電話」か「LINE」(ごめんなさい。名称出して)でのやり取りを希望された。「電話」は表情がわからないから、選択しなかった。「LINE」はビデオ機能があるが、それも選択しなかった。こちらから提案したのは、せめて「Google Meetで」とお願いした。すぐに資料も共有しやすいし、Googleカレンダーにも登録しやすいし(アラートがかけやすい)、そのお相手の後ろの背景も見えるから。ちなみに私はいつも、どうしてもその環境下ではという制限がない限り、背景にフィルターはかけない。なるべく私はフィルターをかけたくないが、お相手の方にはそれを求めることはしない。(出来ればフィルターはかけてほしくないのだが…)
「共創の和」
共に創る、その人を知り、自分も知り、お互いを尊重し、生きていくこと。
今さら何を言っているのだと思うかもしれない…。
#11「運命」を変えたい人へ
心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。
The behavior will change if the mind changes. Habits change if action changes. Personality will change if the custom changes. The destiny will change if the personality changes.
本当にいつまでも語り継がれる「名言」の一つですね。
ウィリアム・ジェームズ William James 1842~1910 出身国:アメリカ合衆国 哲学者、心理学者(代表作:『心理学原理』、『プラグマティズム』)
#10 日本の雇用流動性
日本は終身雇用が根強い。これはメリットとデメリットを含んでいる。メリットは帰属意識と専門性に有ると思われる。しかしながら、産業も大きく変化し、個々人の生産性を考える上げるにはいささか疑問もある。
帰属意識は雇用の固定化を示し、特にミドル世代が抱える世代間のギャップに悩まされることだろう。この悩みを抱えながら、生活のために仕事を続けることを選択せざるを得ない。もし、終身雇用と言う制度が不確実なものであれば、より勤勉に、未来に向かって何が必要か、考えざるを得ない。
もちろん自らのキャリアのために学ぶことを続けることは終身雇用でも可能だが、キャリア形成、とかく産業の変化には柔軟に対処できるのだろうか。雇用の流動化は企業にとって不安定さも含むが、より高いマインドを持った人材を獲得するチャンスでもある。
日本には早期退職制度と言う名の会社都合の退職制度はあるが、レイオフと言った制度はいまだかつて無い。人は不確実性の中に成長を求める。見えない未来のために、見るように努力し、より付加価値をつけることが、社会人を消費者でなく、生産者としてマインドセットするのに必要ではないか。
もっと柔軟な、そして最低限の生活が担保される社会形成を、政策、産業界共に作り上げていかなければ、後進国になり得る。実際に可処分所得は低下し、生産者たる社会人のマインドは低下しつつある。いまこそ学びを続けることは必要ではないか。
#9「挨拶」をデータ化してみた…。
私の住むマンションは、約90戸ぐらいの規模です。二人入居可の都会としては広めの1Kです。
入居率はわかりませんが、空き情報あり、近隣に比べて少しお高め、という傾向から、もしかしたら入居者は7割から6割程度かもしれません。夜に明かりが付いている戸数をざっくり確認するとそれぐらいかもしれません。
1月20日から2月19日まで、計測してみました。「挨拶したら、どのぐらい挨拶が返ってくるのか」
複数接触者を含む「挨拶回数」:19人
挨拶を返してくれた人(複数接触者もカウント):7名
返答率:36.84%
傾向:
①男性より女性の方が挨拶を返してくれる
②若年層より高年齢層の方が挨拶を返してくれる
③一度挨拶した人は必ず挨拶してくれる
④朝より夕方から夜の方が挨拶を返してくれる
サンプリングとしては大したデータ数ではないですが、なかなか、面白い結果でした。
<まとめ>
女性>男性
高齢者>若年層
複数回接触>単一接触
夕方から夜>朝方
挨拶されたら挨拶しましょう。宅配業者さんは今回カウントしませんでした(挨拶ぐらいするだろうと思っていたから)。しかしながら、残念なことに宅配業者さんですら、挨拶を返さない人もいました。お仕事中に失礼しました。でも挨拶ぐらい交わしましょう。企業名ばっちり見えてますので…。
#8無言の会話…の幸せ
お昼は行きつけのラーメン屋さん。いつも頼むのは同じ(大盛りにするか、ご飯物も一緒に頼むかぐらい)。
おまちどうさまと出されたのに、異変に気づく。トッピングの「煮玉子100円」がのってる。そーいやー、年始に行ったときも、「チャーシュー追加100円」が入っていて、「あれ、変わったのかなぁ。」ぐらいしか思わなかった…。
今回は流石に「気を利かしたなぁ。」と思い、頼んでないけど、とは言わず、ただただ、周りのお客さんにバレないように、無言で店主と会話する(この雰囲気わかるかなぁ〜)。
帰り際にプラス100円こそっとおいて、ごちそうさまと言ったら、店主が100円返そうとしたので、「いいよ、いいよ。いつもありがとう。」と返したら、「ありがとうございます。またいつでも。」と。
こんな会話に幸せを感じる…。別にお金の問題じゃない。
#7「共助」の基本…
2024年1月13日から16日まで八丈島に滞在してました。
昨年から計画しており、地熱発電と海洋汚染、海洋温度上昇による影響(白珊瑚化)について、また八丈島の文化について触れようと向かいました。
3泊4日だったので、まだまだ知らないといけないこともあったかもしれませんが、なんとなく至るところに写真のような立て札があったので、掲示します。
一番左は私が住んでいる近所の立て札。それ以外は島内で至るところに立っている立て札。「社会」にしようか「人」にしようか悩んだうえで、「人」に焦点を当てたいと思いこちらに掲示します。
どちらも「大切」なんですが、なんとなく考えさせられたので…。ちょっと#6と似たような内容ですが…。
旅の途中、色々な方々とお会いして、お話を伺いました。
自転車での旅でしたので、道で会う人には挨拶をして、お世話になる際やお礼などでは、ちゃんと帽子を取って…。当たり前のことだと思ってましたが。
「あいさつ」って、コミュニケーションの基本ですよね。「コミュニティ」を作るうえでも大切ですよね。私は「あいさつ」が儀礼的なものではなく、相手、お互いの信頼性、距離感を縮め、常日頃からの「共助」の役割を担うと思うのですが、いかがでしょうか。
#6「忘れてはいけないこと」…。
Facebookで以前投稿しましたが、ここにも残しておきたいと思います。
「お昼休みのひと幕…。」
家の周囲には商店街や団地、公園がいっぱいある。学校も。
少し散歩でもするかと思い、14時30分頃、下校途中の小学生の男の子と女の子が前を歩いてた。
男の子は元気良く、通りすがりの大人に「こんにちは!」と声をかけていたが、どうやら過ぎゆく大人達は返事をしない…。
歩くスピードは、勿論僕の方が早かったので、追い抜かしたら、ちょっと自信なさげに後ろから「こんにちは」と…。
僕はゆっくり振り返って、しゃがんで、その子の目を見つめて、「うん。こんにちは!元気が良いなぁ。」と言ったら、にこっとしてた。
立ち去り際に「またね。」と伝えて。
何か大切なものを教わった気がする。立派な大人になって欲しい。
頑張れ、少年!
#5「雨垂れ石を穿つ」…
継続して努力することは、難しいこともある。
でも、その目標を簡単にして、最小化して、続けることにより、いつか大きな成果が生まれるかも知れない。よく用いられる言葉で、努力を継続することの大切さを説いた前向きなことわざ。「あまだれ いしをうがつ」と読む。
由来は漢書の「枚乗伝」の一節にあり、「泰山の雨の滴りは石を穿つ」とある。元の言葉は「小さな災の積み重ねがやがて大きな災いを生む」という戒めの意味で使われているが、解釈を変えて用いると、「小さなことでも積み重ねることで大きなことを達成することができる」という前向きな用い方をしている。
英語圏ならば「Rome wasn't built in a day」であろうか。「ローマは一日してならず」。
なにかにチャレンジするのであれば、その目標はできるだけ簡単な方が良いと思う。なぜなら続けやすいから。
それでも「三日坊主」でも良いと思う。「三日」やって「一日」休んで、また「三日」やって「一日」休んで。
最後に最近刺さった一言を。
「If you get tired, learn to rest, not to quit.」
「疲れたのなら、辞めるのではなく、休むことを学びましょう。」
何かをやり続けるのは大変なことだけど、目標や目的を持って、少しでもなにかに取り組むことがいいと感じる。
#4「知る」ことの重要性
「人」は生まれ育った環境や、親しい友人、仕事仲間など、ある一定程度の範囲で物事を判断してしまう可能性があります。「バイアス」と呼びます。「マインドフィルター」を言い換えてもいいかもしれません。
「バイアス」は私たちが人として、 結果的に偏った結論やデータを生み出してしまう可能性があることを示唆しています。ここでは代表的なものを4つ上げたいと思います。「サンプリング バイアス」、「観察者バイアス」、「認知バイアス」そして「確証バイアス」です。
「サンプリング バイアス」は、 サンプルが母集団全体を 表していない場合に起こります。 これを避けるには、 サンプルが無作為に選ばれ、 母集団のすべての分野が等しい割合で 含まれるようにする必要があります。
「観察者バイアス」は、人によって物事の観察が異なる傾向のこと を表します。
「認知バイアス」は、曖昧な状況を 常に肯定的に、あるいは 否定的に解釈してしまう傾向のことを 表します。
「確証バイアス」は、既存の信念を確認するような形で 情報を探したり、 解釈したりする傾向のことを表します。
常に「バイアス」を認識し、物事の判断を客観的に捉える必要があります。 また、どのようなデータや情報であっても、 その正確さと信頼性を検証する必要がある、 ということも認識しておく必要があります。
後天的環境から「人」は自分自身の信念や概念を作り出します。
「人」の考えは「多種多様」であるともに、完全に理解することは難しいと思います。だからこそいったん、自分自身の「バイアス」は何であるかを知り、そして取り除き、相手を素直に受け入れるときがあります。その一つが「コミュニケーション」の場であったり、「議論」の場であったりします。
日頃から流れてくるニュースや記事に対して、自分自身の「バイアス」を認知することなく、またそのまま受け入れるのではなく、その背景は何であるのかを知り、探求することは、自分自身の想像力を高めることもできます。
#3「平均余命」について
先日Facebookでもお知らせしましたが、「平均寿命」から受け取る年金額について、何歳からもらったら「得か」という内容の番組をしていました。非常に「違和感」を覚えました。
年金の現行制度では65歳をを基準に前倒しや後ろ倒しでの受給が可能です。
今回テーマとしたいのは「平均余命」という考え方です。
「平均寿命」は調査した年に「0歳児」が平均何歳まで生きる可能性があるのかの定義です。それに対して「平均余命」は「現在何歳の人」があと何年、生きる可能性があるのかの定義で平均値化したものです。
図の出典:厚生労働省 令和3年簡易生命表の概況 「主な年齢の平均余命」
「平均寿命」は男性81.47歳、女性87.57歳と読み取れます。
「平均余命」から例えば40歳の男性女性を見てみます。
男性は40歳+42.40年=82.40歳が平均余命で、女性は40歳+48.24年=88.24歳と読み取れます。
それでは60歳だとどうでしょう。60歳で平均余命を見てみると、男性は60歳+24.02年=84.02歳が平均余命で、女性は60歳+29.28年=89.28歳と読み取れます。
「平均寿命」と「平均余命」の考え方を比べてみました。あくまで平均値ですので、参考になるかどうかわかりませんが、60歳を迎えてもまだ人生の4分の3も終わってないんですね。女性に至っては、3分の2しか過ぎてませんね。ご自身の「やりたいこと」・「できること」・「すべきこと」が何なのか、まだまだ「人」として人生をどう有意義に過ごすか、考えるきっかけになっていただければと思います。
#2「社会人」=「生産者」
来春の春闘についての話題が事欠かないが、何点か確認しておきたいことがある。
まずは「価格転嫁」について。コスト削減型経済からの脱却という言葉を見聞きする。「コスト削減」は企業努力によって行われなければならない。生産物をいかに低コストで付加価値をつけて高く売るか。
次に「賃上げ」について。ここでは「輸出企業」と「輸入企業」で見方が変わる。「輸出企業」は円安の恩恵を受け、増収となる大企業が多い見込み。この大企業が下請けの中小企業による価格転嫁を受け入れなければ、全体としての「賃上げ」には結びつかない。「輸入企業」は円安の影響で国内向け販売価格が高くなってしまう。一層の「ブランド戦略」が必要で、ここに「付加価値」をつけられるか。もしくはサプライチェーンを見直すかが鍵となる。
最後に表題でもある通り「社会人」=「生産者」であることを忘れてはならない。生産者は社会に貢献し、消費者への購買意欲を引き出し、新たな技術の導入を求め、自らの「生産性」を高め続けることが必要だ。そのためには常に「学び」を忘れてはならない。そして「体現」し、「失敗」と「成功」を繰り返していくことを恐れてはならない。
特に会社から給与を頂いている方々は、その元となるのは、自らが「生産」したからに他ならない。自らが「6次産業」のように、仕入れから、販売までを意識し、常に「良いものを生産できているのか」を問い続けることが必要だと思う。働き方が特に産業革命以降、「分業化」されてから、働き方も多種多様であり、スペシャリストやジェネラリスト、どのような形であっても「6次産業」の考え方は持っておいたほうがいいだろう。自らの「決算書」は当たり前の様に意識しておく必要がある。
超高度情報化社会を迎えているにあたって、「人」は「何を生み出せるのか」問い続けることになるのかもしれない。